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大阪から和歌山へ [アマチュア無線]

 今から30年位前の話になるので記憶は、あやふやですが想い出をたどりつつ書いています。多少の思い違いはご勘弁を

 大阪枚方には4年ほど暮らし、昭和61年春、転勤のため和歌山市へ転居しました。ここでの無線環境はあまり良いものでは無く、枚方のように全長20mのワイヤーを張ることなど出来ませんでした。ただ幸い?なことに5階建ての最上階の部屋に入居することが出来、ベランダにアンテナを上げることが出来れば高さは地上高15mはありました。引っ越し荷物を運ぶのは大変でしたが、そこは運送屋の方達が結構居たので、あまり苦にならなかったような気がします。 この環境でどんなアンテナがいいのか、いろいろ考えてみましたが取りあえず大阪で作ったアンテナチューナーと2.5m長さの焼きの入った鉄製ホイップ(モービル用スプリング基台につけるエレメント)を樹脂パイプで上げました。ベランダ柵が鉄製で良好な「建物アース」が取れ、14MHz~28MHzは50Wでまあまあの飛びでしたが7MHzから下はNGでした。

 ある日、CQ誌を見ていると和歌山市にHFアンテナを製作している「ミニマルチアンテナ」というメーカーが在ることが判りました。住所を見ると、私が住んで居るところから数百メートルの所です。早速、通勤で使っていた70ccのバイクで会社を訪ねてみました。社員の方にベランダに上げるアンテナを模索している旨を話すと、社長さんを紹介してくれて、社長さんから「ちょうどいいアンテナがありますよ。未だ発売したばかりなアンテナで7~28MHz帯の4BAND用で、28MHz帯は29MHzのFMまでオンエアできるよう調整しますよ」と言われ、価格も「特価」ということで、即購入しました。ベランダに上げるためのアルミパイプやUボルトもサービスしてもらいました。この時、手に入れたアンテナは、同社のその名も「APA-4」です。今も同名で販売しているようです。全長4mでキャパシティーハット付、アースはベランダアースを利用するものでした。バラン無しでもOKなので、直ぐに設置すると、チューナー無しで各バンド共SWR1.5以下でした。また、この頃に先輩が「もう使わないから」ということでTS-820S+VFO820を安く譲ってくれました。

TS-820S.jpg 

写真のものですが、30年近く経った今でも現役で動作してくれています。和歌山でAPA-4を上げFT-757SX改とTS-820Sで快適に7~28MHz帯はオンエア出来るようになりました。また、この頃JL3JRVの常置場所を新潟に移し、元のJA0GSOのコールを復活させ、JA0GSOポータブル3でQSOを始めました。結局、和歌山からは平成元年2月までオンエアすることが出来ましたが、この年の4月には転勤となり、東京/小金井市に移り住むことになりました。 


再び大阪で [アマチュア無線]

 昭和56年夏、再び転職、大阪へ行き同年秋には大阪で結婚、大阪/枚方市の官舎に入居し、翌年には再びアマチュア無線を再開しました。移動局でコールサインJL3JRVで再開局、取りあえず八重洲無線のFT-757SX(10W)+自作アンテナチューナー+ハシゴフィーダによるツェップアンテナ(給電点15mH)で運用。これで3.5~29MHzまでオンエア出来ました。ちなみにこの頃、WARCバンドなんてありませんでした。

FT757.jpg 

写真のリグで、今も時々使っています。大阪/枚方の官舎は、ロケーションが良かったため、10Wでもそこそこに楽しめました。アンテナチューナーは東京/立川の杉原商会から求めた2kV耐圧の150pFバリコン×2と東京秋葉原にあったトヨムラのエアダックスコイルで作ったもので、今も未だ持っています。現在は両方の店共に在りません。

 このFT-757SXにはパワーアップキットがあったので、これを購入して1年後からJARLの保証認定を受けて50Wに変更申請して運用していました。7MHzや14~21MHzのCWでは、再びW、VK、EU等のDXとのQSOも出来ましたが、この時は子供達がいたり、仕事にも没頭していたこともあり、昔みたいにアマチュア無線にのめり込む事は有りませんでした。


2/17ランニングトレーニング [ランニング]

 昨日、トレーニングはお休みだったので、軽めに走ろうと今日も仕事帰りに体育館でクルクルランニング。

 20170217Run.jpg 

ハイペースで飛ばす若者も居たけど、マイペースを維持しようとスタート。途中、いつもゆっくりそうに見えて速いお兄さんが加わる。まぁ、「お兄さんは速いの判っているからお先にどうぞ」と思ったけど、「おやっ、何かお兄さんローペース」「しゃーない、お先に~」という感じで突っ走る。終わってみれば右肩上がりのビルドアップ走? まぁまぁの走りだったかな。 


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今日のRUNトレーニング [ランニング]

 夏場は早朝5時半くらいの時間にランニングトレーニングをしている私ですが、冬場は早朝は未だ暗く、外の天候も雪が降ったりしていて悪天候が多いため、この時期は市営体育館のランニングコース1周150mをクルクルと周回で走っています。今日も仕事の終了後に走ってきました。

20170215Run.jpg 

7km余りを38分20秒、今日は中盤4kmで一旦スピードを落としましたが、若い男性がすぐ後ろを猛追してきたため、ついスピードを上げてしまいました。なかなか余裕を持って走ることが難しいですが、刺激を受けるのも悪くないかな。平均脈拍数146bpm良い感じでトレーニングを終了しました。 


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アマチュア無線 北海道から佐渡へ [アマチュア無線]

 北海道での生活は、結局、会社を退社したため1年足らずで終了し、全国組織の所へ再就職しました。ここでは、最初に関東地方で教育研修を受け、その後新潟県佐渡島の出先に配属されました。配属されて、しばらく経つと生活にも慣れ、再びアマチュア無線を再開しました。コールサインはJA8WBTポータブル0(ゼロ)で3.5、7、21MHzの3バンドをFT-200Sと竹竿(佐渡特産)で10mHに上げたマルチバンドダイポールで出ました。また、TRIOのTR-7200GⅡ(写真)を追加して2m(144MHz)FMに7エレシングルの八木アンテナでオンエアを始めました。

 TR7200G2VFO.jpg

その後、HFの10W出力が物足りなくなり、石川県金沢市まで第2級アマチュア無線技士の国家試験を受けに行き、合格しました。上級免許を手にした後は、新しい100W機を手にいれようとFT-101やTS-520、TS-820等を比較検討しました。結局、一番価格が手ごろだった写真のTS-520D+外部VFOにHF機を更新することにし、アンテナも7/3.5MHz2バンドダイポールとモズレーのTA-33(3エレトライバンダー八木)の2つを用意し、下宿先の屋根にルーフタワーを上げ、江本のローテータ502CXと一緒に上げました。当時は100W出力での申請でJARL認定は取れなかったので信越電波監理局(現信越総合通信局)の開局検査を再びJA0GSOのコールサインで受検しました。

ts520s.jpg 

 HFを100Wに増力してからは、毎日、DX(海外)局をCW(電信)、SSB(電話)で追っかけ、北米、南米、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカとQSOを楽しみました。このTS-520は使い易く安定した無線機でした。最近ではアニメ映画「君の名は」にも、この無線機が登場していて、懐かしく思えました。しかし、この頃は20代前半で、何時までもアマチュア無線に没頭している訳にもいかず、業務の上級無線技術士の資格取得や埼玉県への転勤や結婚のため再びQRTとなり、JA0GSOのコールも免許切れとなってしまいました。


アマチュア無線開局その後 [アマチュア無線]

 開局は中学2年でしたが、その後、大阪の私立高校へ進学し、大阪の下宿先でスカイエリート6とスクエアローアンテナ(ダイポールを四角状にした無指向性水平偏波アンテナ)でポータブル3でオンエアーしてましたが、またしてもTVIが発生しました。この頃、高校生の未熟な技術力では如何ともしがたく、オンエアを諦め、50MHzのリグを手放して、TRIOの9R-59D受信機を手に入れ専らSWL(短波リスナー)を行い、7や3.5のSSB、CWのQSOを聞いていました。また高校2年の頃は電信級アマチュア無線技士(今の3アマ)の資格も国家試験を受験して取得しました。この頃の電信アマは1分間25字の速さの符号による送受信試験があり、送信の試験官がJA3AA島OM(故人)でした。とても緊張したのを覚えています。その後、JA0GSOのコールは再免許手続きもせず、切らせてしまい就職することとなりました。

 就職先は新潟市内に本社がある無線機製造販売メーカーで、この会社の北海道の出先に配属され、出先に近いハムショップで手頃なHF トランシーバ-八重洲無線 FT-200S(写真 10W JARL認定機)を手に入れ、このリグで北海道常置場所のコールサインJA8WBTを取得し、7,21MHz CW、SSBをメイン にQSOを楽しみました。FT200_1.jpgDXはせいぜいUゾーン(シベリア等ソ連)、JT(モンゴル)等で他は本州(北海道では内地と言っていた)とQSOを楽しんでいました。氷点下の夜、ガンガンにストーブを焚いた暖房の効いた部屋で、QSOするのが楽しみでした。(続く)